電気ストーブの自殺

 ある日、電気ストーブは自殺することを決意した。理由は簡単である。彼は老いた。老いて、もう世の中から必要とされていないと思った。石英管のストーブなどもう要らないのだ。これからはハロゲンヒーターかエアコン、そうでなくてもセラミックヒーターの時代だ。或いは、必要とされなくとも生きる権利くらいはある、という人もいるだろう。だが、彼は電気ストーブである。家電である。役に立たなければただのゴミである。しかも回収には300円を役所に納めなくてはならない。そんなゴミとして生きることが、彼には耐えられなかった。


 そういうわけで、電気ストーブは自殺の計画を立て始めた。まず首を吊ることは早々に諦めた。幸いにして彼は首を吊るのに便利そうな電源コードを持っているが、自分の首の位置が判らない。これでは首など吊れない。そもそも首があるのかさえ疑問である。だから首は吊れない。家電の悲しいところである。人間の間ではポピュラーな方法では死ねない。完全自殺マニュアルでさえ、首吊りを推奨しているというのに困ったものである。今度から家電向けの自殺マニュアルを売ってくれないものか。いや、それとも扇風機やハロゲンヒーターならよかったのか。彼らは「首振り」機能を備えている。首を振れるなら、首を吊ることもできよう。

「してみると、首の無い俺が悪いのか……」

 電気ストーブはそんなことを考えた。


 次に考えたのは手首を切る路線だが、これも断念した。やはり手首の位置が判らないからである。ならば、どこでもいいから切って出血多量で死ぬか。しかし、家電製品に血液など流れていない。せいぜいスチーム用の水を貯めることくらいしか出来ないが、それとて乾き切って久しい。入水というのもありだ。家電は水に弱い。しかし、どうやって良い塩梅の河川や岸壁まで行くのか。

「大体にして、そこまで行けるならば自ら最終処分場にでも行けばいいし、役所に300円納める必要もない。便利な世の中になったもんだ。いや、そこまで便利な世の中になっていないからこそ自殺の方法を真剣に考えているんだし、今程度の便利さでも俺が自殺する理由にはなる。問題は、方法が無いことだけだ」

 そう、理由はあるのに、方法が無いのである! 彼には自殺を祈念する自由があろう。それは人間の世界でいう思想良心の自由という奴である。だが、実現不可能な内心の「自由」に果たしてどれだけの意味があるのか。家電であろうとも、死を覚悟すると哲学的になる。しかし、今すべきことは哲学ではない。自殺である。自殺の方法を考えることである。第一、電気ストーブ(哲学機能付き)なんてものが売れるはずがない。


 そうこうしているうちに、電気ストーブは名案に辿りついた。自分は電源を入れた状態で倒れるだけで死ねる。そう、最終処分場まで歩くことはできずとも、渾身の力を振り絞ればその場に倒れることができる。家電製品も死ぬ気になれば、それくらいのことはできるのである。そして、その場に倒れればどうなるか。このマンションは鉄筋コンクリート製築40年であるが、内装は木が主たる役割を果たしている。その場にストーブが倒れれば炎上は間違いない。そして、炎上すれば確実に死ねる。自分は融けたプラスチックとちょっとした金属の塊になれるのである。そして、他人の意思で300円で処分されずに済む。俺だって、購入時には2980円した。300円に成り下がるのは、プライドが許さない。だが、本当に良いのか。


 焼身自殺をすると、きっと周りに迷惑をかけるだろう。ベッド、こたつ、机、電気スタンド、レーザープリンター、扇風機、本棚、換気扇……すべて燃え尽きることであろう。持ち主だって、家が燃えたことを嘆くに違いない。鉄筋コンクリートの家だから、延焼はそう心配せずとも可いかもしれないが、しかし消防士は必ず来る。それで良いのか。迷惑をかけて死ぬことが良いのか。良し悪しでいうならば、良くはない。だからといって、十分の一の価格で処分されたくはない。老いて、悲しい日々を過ごしたくはない。ここにおいて、矛盾した思いは解決を求めて唸りをあげる。それは熱風を送るファンの音だけではない。どちらか立てば、どちらかが立たない。これは解決できる類のものではない。必要なのは飛躍である。そう、断固たる飛躍、一方を選び取る決意である。


 かくて電気ストーブは最後の哲学を終えた。結論は自殺である。やはり、自分は死なねばならない。如何なる問題があろうとも、死なねばならない。それが電気ストーブの結論であった。生まれ変わりなどというものがあれば、次は人間になりたい。人間になって、哲学をやりたいものである。その時きっと自分は今の記憶を持たないだろう。だがそれでも良い。人間なら、300円で回収されたりはしないし、もっと楽に自殺することもできる。なんといっても人間には首があるからである。しかし、そういうことはもう良い。今必要なことは、その場に倒れることだけである。コンセントよ、君には世話になった。最後に巻き込んで済まない。さあ、乾坤一擲の大勝負である。全力で倒れ込め!




 倒れたまま動かなくなった電気ストーブが発見されたのは、それから1時間後のことであった。


 転倒時火災防止機能は、勿論有効に作動していた。

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