狭き門

「この文章は高速道路無料化反対団体とは一切関係ありません」
最初にそのように断られ、延々と現行の有料道路制の優越性を説く奇妙なビラが教室中に撒かれたのは1月も半ばに差し掛かったころであった。通常の講義日程によると、そろそろ試験前の休みに入る時期であるが、それを馬鹿正直に信じる者などいない。大学の教授の教育意欲はそれぞれであろうと思うが、ここ法学部にはどういうわけか教育熱心な教授が集まっているようで、しっかりと補講を行う講座が大半である。おかげで1月の終わりまで補講が入り、学生はその予習に追われる。そのため2月の頭より始まる試験の対策も間に合わない者が続出し、中には必修科目の単位を落として留年が決まる者もいるという。留年となれば、内定も取消されるのであるから、期末試験が如何に重要なものかは誰もが弁えている。それゆえ、この時期の教室は例年非常に慌ただしく、何者かが撒いていった政治宣伝のビラなど読む者も殆どいない。大体にして、生活実感のない学生どもに高速道路の話をさせて何になるのか。自分が税金を払う立場にないからと言って、やれ納税は国民の義務であるだの、公共の福祉を考えれば増税も已む無しだの論じている連中である。高速道路無料化問題についてだって「道路の整備は国家の責務」「ケインズ主義は未だ有効性を失っていない」「新産業創出までのつなぎとして公共事業は必要」と、大学で学んだという浅薄な理論を振りかざして調子の良いことをのたまうに決まっているのである。こんな学生時分の意見など、社会に出ればあっという間に忘れられる。ビラを撒いた者には生憎であるが、紙と手間の無駄であろう。ああ、全く馬鹿馬鹿しい。

 それなのに、どうして私がこの可笑しなビラを手に取ったのか。それは、何も私が暇だからというわけではない。いや、確かに学生ほど暇な生き物はおるまい。脛齧ること鼠の如く、睡眠時間はねこの如き大学生が「私も暇ではない」と言い出した日には、多くの大人から失笑を買うことであろう。私が言いたいのも、他の学生と比べて暇ではない、という程度のことに過ぎない。寧ろ去年落とした必修科目を今年も履修せねばならなかった分、忙しいとさえいえよう。こんな私でも卒業くらいはしておきたいものなのである。モラトリアムは留年では延びない。待っているものは刑の執行である。如何に高踏的な言動を繰り返し、遂には教授から「君も現世に興味があったのか」などと驚かれた私であっても、社会的に抹殺されるのは御免蒙りたい。そのためには、卒業するために一所懸命、学生の本分たる学業に励む時期が必要なのである。仮にそれが、試験前の2週間であっても。

 だが私の単位状況は一先ず措こう。何故私がこのビラを手に取ったか。それは「高速道路無料化」という文言が、過ぎ去りし日々への追懐の情を掻き立てたからに他ならない。今や大学で4年間を過ごし、すっかりやさぐれた私にも、当然ながら希望に満ち溢れた新入生であった頃があった。高校までの強制される「勉強」とは異なり、大学では自ら学びたいことを選択することができる。「教養」や「学問」という言葉は如何にも魅力的であった。そして教授らの口から語られる一言一言は専門性が高く、新鮮に感じられた。自分は学問をしている。そして大学で学んだ最新の知識を社会に還元しよう。そうして社会の問題を解決する。いや、社会に出てからでは遅いかも知れない。学生という立場を乗り越え、象牙の塔に籠ることなく、社会へと関与していくべきだ。社会の一員という当事者意識を持たなくては、これからの時代は通用しない。新しい時代は我々が切り拓かねばならない! そういう誇大妄想を抱く者も少なくはないのではないかと思う。かくいう私もその一人であったのだから「大所高所から」天下国家を語る学生を嗤う資格はないかも知れない。しかも私は悪いことに「政治運動」に関わり、これまた悪いことに「組織」に入ってしまった。全く、今にしてみればよくもまあ危険も顧みず、といったところである。

 そして、その「政治運動」こそが「高速道路無料化」を「推進」するものであり、その組織は「自由道路連合学生部」であった。ビラに登場する「高速道路無料化反対団体」とは真逆の存在であり、その主張もまた逆であった。自由道路連合の主張は、こんなものだったと思う。曰く、道路を無料化することにより日本全国を陸続きとすることによって、流通が促進され国民経済はより一体化される。オーストラリアから鉄を運ぶよりも、国内で鉄を運ぶ方が高くつくのは有料高速道路のせいであり、流通を阻害すること著しい。これでは産業の空洞化も当然であり、しかもそれは官製空洞化と言うべきである。かかる状況を放置してやれものづくりだの景気回復だの主張している連中は、道路利権にしがみつく日本経済の寄生虫に他ならない。斯くの如き寄生虫どもを排斥して始めて喪われた20年を取り戻すことができる。しかも、日本全国が陸続きとなれば、国民の連帯意識も高まり、それは崩壊しつつある地域社会を代替するより広域の社会を築くことにも繋がる。そうして醸成された国民意識が、社会保障にも不可欠である。巨額の財源を必要とする超高齢化社会を支えるためには、そのような社会の連帯意識に基づいた国民の理解がなくてはならない。それを実現するのが、高速道路の無料化なのである――と。

――何という観念論であろうか。今の私ならば鼻で笑う話である。しかしながら、当時の私はこのような空論にすっかり魅せられてしまった。7月という少し遅い学生部の新歓で、学生部長の次に出てきた自由道路連合全国委員長の演説は、非常に熱が籠っていた。委員長の風貌はイカツイおじさんと言ったところであるが、皺の刻み込まれたその顔には、20年の不況にも耐え抜いてきた逞しさがあった。そして、節電とやらで冷房も入らぬ教室で、汗を流しながら学生を前に語るその姿には、真摯な憂国の思いが感じられた。なにより委員長は、天下国家を語りつつも常に庶民の生活を念頭に置いているように思われたのである。委員長自身、普段は町工場を経営しているという。社会を変革するためには、こういう人こそ政治の舞台に立つべきである。そして、学生はそのような運動の先頭に立つべきではないか。私はそのように思った。いや、思いこんだ、という方が正確であろう。4月に入学した後、特に「社会的な」ことをしていなかった私は、或いは少し焦っていたのかも知れない。

 さて、このようにして組織に入ってからというもの、生活は一変して忙しくなった。それまで余暇には精々講義の準備をするか、さもなくば月に1度ほどサークル活動で山に登るくらいであったのだが、休日も返上して組織の活動にのめり込んで行った。福祉政策や道路政策に関する大人も交えた勉強会は毎週行われたし、運動を広げるための活動も盛んに行った。大学ではビラを撒いたし、友人らと話すときにもしきりに高速道路無料化を説いたものである。あまりに私が運動にのめり込んでいるため昼食会の場で「もっと外も見た方が良いんじゃないか」とサークルの先輩に心配もされた。だが、その頃の私は見る目の無い先輩だ、と思っていた。もっというと、社会に対して諦めた態度でいる先輩方が気に入らなかった。どうして何もせずに諦めるのか、どうして現状を変えようとは思わないのか。いや、我々が変えればよい。我々こそが、この閉塞感を打破せねばならない。狭き門より入れというではないか。我々はその狭き門をくぐった者なのである。そうした感情を、学生部の皆は肯定してくれた。次第に私にとっては、学生部こそが居場所であるように感じられるようになっていた。冬頃にはサークルの昼食会や活動に出る時間が惜しく感じられ、半ば幽霊部員になっていたのではないかと思われる。空いた時間は勿論運動に費やされた。そうした日々は、充実したもののように思われた。

 2年生になってもその生活は変わらなかった。ただ、私のサークルは2年生が執行学年であったので、そちらの方も流石に幽霊部員というわけにはいかなくなった。更に、当時「学生ニート」という言葉が流行っており、アルバイトをしない学生は怠けているという風潮もあった。自分は他人とは違うと思い上がっている割に世間から大きく外れることを恐れる私は、4月からアルバイトも始めた。アルバイト先は駅前のレストランで、シフトは店長が指定する方式であった。そして、そのシフトを見た私は仰天することになるのである。なんと、週に6日、土日は10時間ずつ入っている。流石にそれは無理だと言って週3日に変更してもらったが、そういう店であるから離職率も高く、仕事も忙しかった。サークル、アルバイト、運動、それに大学……私の生活は、今から振り返れば徐々に荒廃していたと思う。だが当時はそれに気付かなかった。いや、気づいていたのかも知れないが気づかぬふりをしていたのであろうか。アルバイトで稼いだ金は、組織の勉強会や活動費に消えていった。大学の講義では専門課程が始まり、理解が遅れつつあった。その遅れが、今回必修科目の再履修と相成った遠因であるが、単位の話は措こう。どうせあと1週間もすれば死ぬほど意識させられることである。

 さて、そうした忙しい日々にも拘らず、私は充実感を覚えていた。これほど精力的に活動している学生は私の他にいまい。自分は実に良い学生生活を送っている。高揚した気分と崩壊する生活は微妙な平衡を保っていた。しかし、往々にしてそのようなものは長続きしないものである。果たして私の場合もそうであった。衆議院が解散されたのである。委員長は学生部に指示を出した。

「選挙に備えよ」

 それは、終わりの始まりであった。

 

 

 委員長が8月の選挙に出馬する。選挙で高速道路無料化を訴える。それは我々の主張がついに国会で取り上げられるかも知れないということである。待ち望んだ瞬間が、目の前に来ていた。それゆえ、運動にも一層力入る……はずであった。しかし、先にも述べた通り、私の生活は微妙な平衡の上に成り立っていた。選挙対策という激務はその平衡を突き崩すのに十分である。テレビの開票速報で感極まって泣く支援者は決して演技をしているのではない。あれは本心から涙を流している。それほどまでに選挙戦とは激烈なものである。候補者の枯れた声もそれを示していよう。振って湧いた膨大な作業によって、私は倒れてしまった。戦場においては戦死も困るが、それ以上に負傷者の扱いはそれ以上に大変だと聞く。私もまた、これ以上の活動は無理であると判断され、しばらく休むよう大学の支部長から指示された。毎日挫折感と闘いながら、いや、実際には挫折感に押しつぶされながら暮らしていたが、そんな調子のアルバイトなど使い物にならない。店長は露骨に私をシフトから外した。私はここでも必要とされないのかと悟り、アルバイトを辞めた。そうして抜け殻のように生きている間に、8月1日の投票日を迎えた。委員長は、0.2%の票しか獲得できなかった。世間は、我々の主張など気にも留めなかったのである。

 組織はどうも私を不要だとは思わなかったらしい。選挙後の総括などいろいろ残務処理があるから、それが終わったころに戻ってくるようにと留守番電話には入っていた。しかし、私は組織の主張に疑いを持ち始めていた。ひょっとして、我々の主張は妄言の類なのではないか。もし本当に素晴らしい主張であれば、0.2%での得票率で惨敗することなどないはずである。我々は狭い世界で意見を交わすことに夢中になり、明後日の方向に先鋭化していたのではなかろうか。それはちょうど、高校の頃の化学教師が語っていた「セクト」と似ている。大学の入学式で自治会委員が注意を喚起していた。何でも、左翼や新興宗教の危険な団体が、フロントサークルや偽の自治会を名乗って、学生を勧誘・洗脳するのだという。我々の組織に悪い人がいたかどうかは定かではない。付き合ってみた印象はむしろ善人ばかりであったと思う。だが、しかし……現象としては同じなのでないか? 外を見た方が良いという先輩は正しかったのかも知れない……動悸がするのは脱水症状であろうか。故障した冷房を直してもらわねばなるまい。それから水だ。水を飲むために、台所へ向かった。乱雑に積まれたシンクの皿が不満げであった。ああ、そうか。結局私は――何もしていなかったのだ。

 そんなことを考えながら1か月を過ごした。9月は秋に分類されるというが、それは概ね嘘であろう。何のために国民を騙しているのかさっぱり理解できない区分であるから、早急に廃止した方が良いのではないかとさえ思われる。何しろ暑くて仕方がない。秋というものはもう少し爽やかで過ごしやすく、そして美味い物に囲まれていなくてはならない。然るに私は暑さに耐えかねて直してもらった冷房を稼働させ、そしていい加減に食べ飽きた素麺を啜っていた。これを夏と言わずに何というのか。ただ太陽の沈む時間は少々早くなったようである。日の沈んだ頃、支部から電話がかかって来た。何でも、そろそろ戻って来ないかとのことであった。私は、体調も悪いので難しい、とだけ答えた。支部の者は「そうですか、解りました」とだけ答え、電話を切った。そういえば、電話の主は知らない声であったように思える。そして、私と組織はそれっきりであった。

 特に追及がなされたり、執拗に組織に戻るように言われなかった辺り、自由道路連合はさほど悪質な組織ではなかったのだと今は思う。だが、悪質であろうと何であろうと、閉鎖的な組織はしばしば人に突拍子もない考えを抱かせる。これを集団分極化と呼ぶそうである。夢から覚めた私は、もう少し真面目に学業に取り組もうと考えたが、少々遅かった。結局卒業に必要な単位を揃えることすら危ういまま、4年の冬を迎えている。成績表の私は平均以下の学生としか言いようがない。実際そうだったのであろう。そして私は、いつか見た先輩方のように、冷ややかな目で学生の活動を見ている。目を輝かした1年生2年生を見ながら馬鹿馬鹿しいと独り言つようになった。そして、現実を見たらどうなんだ、大言壮語など止せば良いのになどと思いながら、日々大学と下宿を往復し、夜には安酒を飲んでいる。だが、このところ、酔うと何故だか昔が思い出される。そんなところにこの奇妙なビラが飛び込んで来たので、つい懐かしさにかられた、というわけである。

 唾棄して止まない過去であるが、ひょっとするとあの頃もそんなに悪いものではなかったのかも知れない。何かに夢中になり、そして失敗する。それが青春であり、成長なのかも知れない。してみると、1年生らの活動にも「馬鹿馬鹿しい」などと言うべきではないのであろう。第一、馬鹿馬鹿しいということで何を産むというのか。もう「馬鹿馬鹿しい」は止めだ。私も白けてばかりおらず、もう少し高い目標でも持ってみようか。きっとこのビラを撒いた団体も、あの頃の私とは真逆の主張をしているが、あの頃の私と同様、馬鹿みたいに燃えているのだろう。どれ、少し調べてみるか。この数年で携帯電話も随分と便利になり、今ではスマートフォンが当たり前となっている。検索も随分と楽になった。そうして、ビラに書かれた団体名を入力してみたところ、お役所の外郭団体との繋がりが指摘されていた。私は小汚い天井を見上げた。止めたはずの、口癖が漏れた。

「ああ、全く馬鹿馬鹿しい」
 テキストリレー企画「ムカデ人間」 

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