ログ(2014年6月)

6月23日:近況報告

 同志諸君こんばんは。最近は1日6キロ〜12キロくらい歩いたり箱根旅行に出かけ旧御用邸に泊まったり、水戸でうな丼を食べたりするなどの良い生活を送っていました。良い生活の何が素晴らしいかって、やはり気の向かない勉強をしなくてもよいというところでしょうか。いえ、役に立つ学問は往々にして気の向かない勉強の対象でありますから、そろそろ勉強をしようとは思いますし、実のところ勉強しない生活にも違和感を覚えっぱなしなのですが。

 近況報告というテーマは中々難しいなと思います。というのも、近況自体は上記の通り1段落で報告できるからです。後は感想や思索の結果を記すことになると思うのですが、それは注意して書かないと他者にとって無意味な駄文です。何故そんな水を注す様なことを言うのか、という人もいるでしょう。しかし水を注すという表現はそもそもよく燃えている場合に使う言葉であり、テキトーに書かれた感想というものは別段燃えてもいない駄文ですから、水を注す以前の問題でしょう。それでやる気をなくすという方は、遅かれ早かれという話でしょう。

 しかしそういう文章しか書かなくても興味を引く方法はあります。例えば、芸能人のblogはしょーもない内容が多いのですが、読者は数多くいます。それは、その人本人が興味を引く存在であり、他に芸を持っていたり見た目が優れていたりするからであります。それで、あなたはどうですか。何か芸をお持ちですか。そうではないんどえあれば、売りは文章とちょっとした(大体平凡の枠を大きくは超えない)キャラクターでしょう。だったら文章で勝負せざるを得ない。テキストサイトはそういうものなのだろうと思います。

 その点で近頃の私は、私自身が見ても面白くありません。Twitterで大体の感想の類を吐き出してしまい、高々3000ほどのフォロワーに満足し、日々の生活では酒を飲んだり山に登ったりラブライブの聖地を求めて小田原市まで出かけラブライバーと交流を深めたり、小田原では1泊4000円ながら良い旅館を見つけたり御用邸に泊まったり……一部の層にはウケる気もしてきましたが、何というか、面白い文章を書ける気がしないわけです。面白い文章を書く気力もあまりないのかも知れません。何より、どうせ自分の文章が一種のお説教に終わることに辟易しているのでしょう。そうです。私はお説教をするような実績を残したわけではありません。私が皆さんに見せるとするならば、寧ろ目的に対する努力と奮闘であり、闘い終えた者の達観ではない。そんな風に思うと、どうにも筆を執ることができないのです。

 以上が、まとまりのないものでありますが近況報告です。あ、でも最近ぼちぼち勉強しています。友人と旧交を温めたり、飲み会に積極的に顔を出すなどして行動に出ることに勤めてもいます。ですから皆さんはどうか私のことはあまり気になさらずに、いつも通り共産革命に努めていただきたいと思います。万国の労働者、団結せよ!

6月7日:それでも青春は聞こえるか

 こんばんは。最近は大体試験前にためこんだアニメを見て過ごしています。アニメっていうかラブライブです。独りで「きっと青春が聞こえる」とか歌っているということです。あそこまで燃えるような青春を過ごした覚えがないので、こういうアニメでそれを補っているということになりましょうか。あ、別に勉強に忙しかったとかそういうわけじゃありません。そんなに勉強していませんし、どっちかというとこの手のスポ根青春アニメの勢いを借りて司法試験の勉強をしていた(CD聴いて)という方が正確でしょう。青春ってのはつまり勉強なんです。

 まあ青春って本当に勉強です。作中でも明らかにハイテンションでおかしくなっている主人公を周りが止めなかったせいで大変な目に遭っており、傍から見ている我々は「おいおい何やってんだよ」と思うことでしょう。その点について「無駄なシリアス」として批判もあるところです。しかし、2期のゴミみたいなシリアスというか、大げさすぎて感動が遠のくような自分語りと言いますか、そういうのは措くとして、周りが止めなかったし本人も周りが見えずに無計画に頑張った結果倒れてしまう、みたいな話は割とよくあると思います。そして青春というのはそういう稚拙な失敗を積み重ねることによって学習するものなのでしょう。青春モノの意義はそこにあると思います。ですから、青春は勉強なのです。

 そして体験は別々であろうとも、抽象化すれば身に覚えがあることばかりであるからこそ、青春モノに共感することが出来るとともに、過去を懐かしく思い出すのでしょう。個人的に、以前ムカデ人間で書いたテキストも、かなり出来の悪いものではありますが青春モノです。青春と言うか失敗談と言うか、まあその手合いです。多分私にはそういう失敗談しか書けないでしょう。上手くいく青春というのはあまり記憶にありません。そういう意味でも最後に失敗して終わるラブライブ!の1期は懐かしい気分になりました。

 意識して回避しているわけではない限り、人間はいつかその失敗を犯すでしょう。大人になってから、高い地位に就いてからでは損害は大きくなります。挫折を知ることが良いこととは必ずしも思いませんが、失敗は早いうちに経験した方が良いのかも知れません。次は失敗しないでしょう。何といっても子供は失敗が許されるのですから。青春には失敗があるべきであり、子供はそれに学ぶべきなのです。失敗が許されるからこそ、向こう見ずな挑戦ができ、我々はそのひたむきさに感動もしますし、同時に危うさも感じます。憧れもしますが、それをしようとは思いません。失敗を繰り返して、慎重になることを学んだからです。

 それでも、時には熱くなることも必要かもしれません。猪突猛進が子供の特権であれば、ゆっくり急げるのは成人の特権ではないでしょうか。ですから、やはり大人にも青春は聞こえるのです。それを思い起こさせるので、私はこのアニメが好きなのです。

 一日アニメ見ている時点で熱くなんかなっていないんですけどね。


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