ログ(2013年12月)

12月31日:後悔、それから

 去年の末のことである。私は一人の赤子を救おうと奔走していた。その子は生まれて一年も経っていないのに重病に侵され、その短い生涯を終えようとしていたのである。しかし、その治療には莫大な費用が掛かり、両親が支払えるものではなかった。ブラックジャックならば、一生かかってでも払います!その言葉が聞きたかった、で済むのかも知れないが、現実は非情である。そもそも借金すらままならないのであるから、一生払うもなにも、覚悟程度のものでは固より不可能を覆すには至らない。世の中には「思い」を強調したがる人もいるが「思い」の実現には資源が必要であることは、わざわざ縷言するまでも無かろう。


 ここまで言えば同志諸君にも私が何をしていたのか、お分かりになったのではないかと思う。そう、私はその子を救うための資金を集めていた。街頭で、ネットで……ありとあらゆる場所で募金を呼びかけた。しかしそれでなくとも支出の増える年末であるからか、集金状況は思わしくなかった。そうして、治療費が集まる前にその子は亡くなってしまった。12月31日の24時、遂に新年を迎えることなく、幼子の心臓はその鼓動を止めたのである。


 私はその子を救えなかったことを後悔している。あの時、もう少し大きな声で募金を呼び掛けていれば、あの時、もう少し募金を求める書き込みをもう少ししていれば、あの時寝なければ、あの子は死なずに済んだかもしれない。そう思うだけで、陳腐な言葉であるが、胸が張り裂けそうである。そして今、私は再び治療のための費用が足らずに亡くなろうとしている子供の話を聞いた。もう同じ後悔をしたくはない。だから、私は臆面もなく自分のサイトで募金を募ろうと思う。皆さんも、どうか協力して欲しい。1歳にもならぬ、小さな子供を助けるために。


 2013年ちゃんは生まれつき重病で、このままでは年を越せないと言われています! しかし、治療費は膨大なものであり、私たちにはとても支払えるものではありません。皆さん、どうか2013年ちゃんを助けるために募金をお願いいたします。

12月28日:シ ベ リ ア

 シベリアと聞いて、同志諸君は何を思い浮かべるであろうか。強制労働? 何、それはけしからん話である。我が国にそのようなものは存在しない。同志にはその帝国主義者から植え付けられた誤った思想と知識を改めるべく、シベリアに行ってもらわねばならないだろう。木を数えるだけの簡単な仕事である。帝国主義諸国でも、交通量調査という人間を数えるだけの簡単な仕事が行われているのであるから、我が国が非難される謂れはなかろう。寧ろ、木は動かないので楽な仕事とさえいえる。しかもシベリアの人民は素朴であり、その自然は豊かである。強制労働の要素は全くない。彼らは、自ら志願してシベリアに行っているのである。その証拠に、皆シベリアを気に入っており、誰一人として帰ってこない。


 それはさておきシベリアの話である。同志諸君の中にはお菓子を思い浮かべた人もいるのではなかろうか。そう、あのけったいなお菓子である。何を考えてカステラの間にあんこを挟んだのか、私は四半世紀生きてきて未だ理解し得ない。何か深遠な思想がある気もするし、その場のノリで挟んだような感じもしている。零戦賛美の帝国主義的アニメ映画「風立ちぬ」の中でも本庄くんが妙なもの扱いしていたが、多分そちらの方が常識的なのではないかと思う。きっと本庄くんは共産主義者に相違あるまい。何故なら共産主義こそは常識に適った人間理性の結晶だからである。


 風立ちぬのことは措くとして、シベリアである。あのお菓子は一体何がどうシベリアなのか。甘いからか。シベリアは甘いというのか。確かにそうだ。シベリアが素晴らしいところであることは、そこに移住した人が一人も戻ってこないことから明らかである。しかし、それだけか。だったら何でも甘いのではないか。ようかんもまんじゅうも最中も大福もちもシベリアなのではないか。しかし、そうではない。これらは厳然と「ようかん」「まんじゅう」「最中」「大福」と呼ばれている。落語家が「シベリア怖い」などと言ったりはしない。シベリアを恐れているのは帝国主義者の煽動に踊らされる愚か者だけである。そういうわけで、シベリア(お菓子)は何か独自性がありうはずであり、それがシベリア的な何かであるはずなのである。では、それは一体何か?


 そのように尋ねたところ、私のかつての友人は「幾ら気に入ったとはいえ、誰も戻ってこないのはおかしい。そういう奇妙さが共通しているのではないか」との見解を披露してくれた。何故彼が「かつての」友人かというと、それは彼がシベリアに行ってしまったからである。彼は反動的発言を悔い、自らシベリアへ開発へと旅立った。そして、まだ戻ってこない。

12月20日:早起きは階級的意志

 ガイアが私にさっさと寝ろだのもっと勉強しろだの日記を更新しろだの囁いているような気がするが、しかしそれは我々の科学的無神論から容易に否定されよう。そして我々は唯物論的弁証法から、さっさと寝るべきであり、もっと勉強すべきであり、そして日記を書くべきであることを論証することができる。しかもそれは「囁き」の如き生易しいものではない。それは労働者の叫びである。階級的意志である。そういうわけで、今度からメンズナックルを見かけても「労働者の階級的意志が俺にもっと輝けと叫んでいる」と正しく言ってホシイ。恐らく反動が大多数を占める現代日本においては正しくドン引きされると思うが、そこで日和ってはならない。断固たる決意を見せなくてはならない。そういうわけで、労働者の階級的意志に従って、今日はさっさと寝ようと思う。諸氏も唯物論的弁証法と労働者の階級的意志に従って、早寝早起きを心がけよう。


 16文の得を根拠とした者は、封建的諺に依拠したこと及び反動的利己主義をよく反省すること。

12月16日:師走なので

 師も走るというくらいだから忙しいとかいう陳腐極まりない言い回しが今年もそこかしこで用いられているのであろう。同志諸君はいかがお過ごしであろうか。私はパルチザン的な生活を続けた結果、大いに杯を乾かし、胃の中を空にしつつ勉強したりしていた。聞けばボリシェヴィキも非常な読書家が多かったという。革命的精神を養うために、勉強は不可欠である。そして同志的友情を育てるには、やはり飲酒が良い。酔った際には本音が出るというではないか。翌日数名が消えていても、それは偏に彼らの「本音」が悪いのである。


 「消えていた」で思い出したが、共和国では犬にも劣る人間のクズこと張成沢が処刑されたという。朝鮮労働党と国家における最高位の権力を掌握するという野望のもと、あらゆる種類の陰謀と卑劣な手段を使い、国家転覆を謀るという憎むべき罪を犯したのであるから当然の対応であろう。張は金正日将軍様の妹である金敬姫同志と結婚した後に同志に対して暴力を振るったかどで、一度製油所勤務を命ぜられた。その後復職したが、分派的行動を 取ったために、金正日将軍様に粛清されている。この度の粛清は実に三度目であり、如何に寛大な金正恩同志といえどもこれを許さなかった。これを野蛮な行動だと非難する諸国こそ、野蛮な人間を放し飼いにしている蛮族ではなかろうか?


 ところでこのような話をしているのは別に更新を怠ったことに対する弁明ではない。弁明ではないのであるが、自己批判する。このように、素直に謝っておけば党は寛大な措置を下すものなのである。自己批判と総括ができなかった連中は、革命に敗れたのである。それはいわば「敗北死」である。彼らに対する同情など有害でしかない。同志諸君の中に、反動分子に加担するような者がいないものとは思っているが、しかしもし何か疚しいところがあるのであれば、党を母のように信じて申告せよ。

12月3日:キリ番制度の反動性

 昨日キリ番を取ったという報告が入った。某管理人なる者が大本営に申し出たところによると「来客500番踏んでやったぜヒャッハーーー」とのことである。しかし、スターフカは一致して疑問を呈さなくてはならない。即ち「当サイトにキリ番制度なるものは存在したか」と。


 そもそもキリ番制度とは何か。議論の筋道を示すためにまずその定義を述べると「自らを以て類型来客者数が主観的に「キリが良い」と思われる数に達したことを、来客者の累計を示す数値表示(以下「カウンター」と呼ぶ)から確知した者が、その旨を報告し、これを受けた管理者がそのことに対して何らかの特典を与える制度」である。


 如上の定義からすると、キリ番制度には大きな問題があると言わざるを得ない。キリ番を踏むか否かは偶然によって左右される。ということは、偶然によって特典を受ける者が発生するということである。かかる制度は共産趣味的な観点からは是認しがたい。生まれによって人生が決まる封建制度にも似ていると言わざるを得ないだろう。社会主義体制にあっては、一番多く労働をした者が一番多くのものを受け取らねばならない。ソ連憲法に曰く「働かざる者食うべからず」と。そこに偶然の要素など無い。労働には対価が与えられなくてはならず、それ以外の給付は労働者からの搾取又は腐敗に他ならない。何故か? 偶然によって与えられる特典は何に源を発するのかと考えれば明らかである。それは疑いもなく、労働者の労働に淵源がある。そのようなものを、労働という必然によってではなく「偶然」によって与えることは、労働を搾取したことにしかならないであろう。この故に、スターフカはキリ番制度を封建的残滓とみなす。その反動性は明白と断定でき、かかるものを当サイトが用意するはずがない。


 そうであるにも拘らず同志は嬉々としてこれを報告してきた。全く以て理解しがたく、シベリアにおける思想教育の必要性が認められる。しかし、自白は極めて望ましい。罪を犯した者は償わねばならず、これを隠し立てすることは体制への許し難い反逆である。そして、スターフカとしては革命的合目的性と革命的合法性の観点から、同志の行為を自白と認定し、今回は名前の公表と自学自習を求めるに止める。同志には自らの反動性をよくよく戒められ、さらなる革命性を身に着けるべく学習を継続してもらおう。


 繰り返しになるが、自白は極めて望ましい。同志諸君にも、己の誤りを党を母のように信じて包み隠さず述べることを勧める。「キリ番」なるものを分で喜んでしまった者は、速やかに申し出るべきである。当局は、革命的合目的性、革命的合法性の観点から寛大な措置を下すことであろう。

12月2日:現実から

 古人の言によれば、テキストサイトとはエチケット袋なのだという。エチケット袋というとマシに聞こえなくもないが、日常生活で溜め込んだモノを吐き散らすゲロ袋のことである。現実逃避こそ、テキストサイトのキモだということであろう。私もまたこの説には一理あると思うところである。


 ところで、今私は眠くて仕方がない。まだ勉強せねばならないにも拘らず、脳みそは痺れたように動かない。血糖がおかしいのかも知れないし、或いはそもそも睡眠が足りていないのかも知れない。しかし理由は別にいい。これが神の思し召しだろうが悪魔のいたずらだろうが、眠い者は眠い。そして、それによって作業効率が低下していることが問題なのであり、逃避したい現実である。そして、逃避したい現実の故に、日記を更新している。


 だがちょっと待って欲しい。眠いという問題は眠れば解決する。しかも眠ることによって夢の中へと落ちるのであるから、現実を逃避するという目的も達成できる。そうだとすると、私は一体何のために日記を書いているのだろうか。逃避したい現実とは一体何なのか。いや、そうだ。勉強だ。勉強をしなければならない。しかし、それは別に明日でも間に合うものである。明日できることを今日するな、という言葉もある。そうすると、私は今日しかできないことをせねばならない。今日しかできないこととは何か。睡眠か、日記の更新か。確かに、日記は「その日」に書くものであると考えれば、今日しかできないのかも知れない。しかし、眠気に悩まされているのはここ数日毎日のことであるとすれば、こんな日記は明日でもきっと書けよう。何故私は寝ないのか。どうして日記を書いているのか……


 そんなことを考えながら日記を更新しても、眠気は深まるばかりで、現実は私に迫りながら遠ざかる。テキストサイトの何と役に立たないことか。このようなモノに憑かれてしまった者の何と不幸なことか! ああ、私は逃げ出したい。こんな現実から、一目散に! そうだ、やはり私には現実逃避が必要だ。現実逃避のため、日記を更新しよう。

12月1日:注釈SPAM

 奇妙奇天烈なSPAMが掲示板に書き込まれていた。内容があまりに難解であったため、革命的警戒心を一層強く持つためにも、これの意味をよくよく咀嚼しておくことが肝要である気が何となくしてきたので、解説を試みたい。以下は原文であるが、[n]はスターフカの付けた番号である。


集団ストーカー 投稿者:管理人 投稿日:2013年11月28日(木)07時41分14秒 [1]
ゆーきん←このうんこみたいなカスは集団ストーカーです[2]

こいつの地元は京都の西院というところで本名はゆうきという24歳の男です。こいつは通称『うんこ』と呼ばれており、ネットなどで叩かれております。
集団ストーカーというテクノロジー犯罪も今では有名になっており、ネットでは『集団ストーカー』や『思考盗聴システム』とググるだけでかなりの数の情報が出てきます。[3]
集団ストーカー(集スト)とは『思考盗聴』という相手の考えを読み取る機械を悪用するストーカーのことを言います。[4]
人の脳からは『脳波』という微弱な電波が発生しており、マイクロ波という特殊な電波を使いそれを読み取る事が可能です。
つまりは相手の心を読むことができるということです。またそれの付属的な様々な機械があり、音声を送信する電波を伝い脳に直接声を吹き込む機械があります。集団ストーカー被害者はこれのせいでこいつらの声を自分の考えとしてとってしまいます。それが『洗脳』であり、やられてる本人はなかなか気付きません。[5]
この他にも映像を送り込む機械や、超音波発生機など様々な機械があり、それらを悪用することで人の考えを操作したり、長い時間をかけ人格を破壊することも可能です。これが集ストです[6]

集ストもやはり一人では無理でうんこにも仲間はおりますがその技術は間違いなく下で、こいつらは『うんこ軍団』とネットに晒され叩かれております。こんな奴らでも出来るという事は結構簡単に手に入る代物なんですね[7]

超音波発生装置や音声を送信させる機械などはネットでも簡単に手に入るようです[8]

集スト問題の解決を願います[9]


 如何であろうか。私はこの晦渋な文章に目がくらむ思いがする。しかし革命の前進のためには致し方ない。注釈を付していく。


[1]まず「投稿者:管理人」とあるが、スターフカ大本営において管理人は「スターフカ」と名乗っている。そのため、早々にSPAMの目論見は外れているというべきであろう。

[2]次に問題となっている人物についてである。
本文では「ゆーきん←このうんこみたいなカスは集団ストーカーです」とされ、その後通称が「うんこ」であることが明らかにされる。なるほどうんこみたいなカスなのであれば、それは確かにうんこなのかも知れない。しかし、いくらなんでも通称が「うんこ」って。小学生でももう少しまともなあだ名をつけるのではないか。しかも理由が「うんこみたいだから」というのも安直極まりない。だいたい何がうんこみたいなんだ。見た目か。それともあれか。臭いか。見た目も臭いもうんこならば、それはもううんこそれ自体なのではないか。まさかとは思いますが、この「ゆーきん」とはあなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか。大体にして個人名を挙げておきながら何故「集団」ストーカーなのか。この難解さ、書いた人間は天才か頭が不自由な人かの何れかである。

[3]そしてこの集団ストーカーはどうも有名らしい。そこで、早速ググってみると出るわ出るわ。いやね、もうね。これは触れない方がいいかなって。やっぱりその想像上の存在というかね。この辺りで動揺から私の口調が崩れていると思うんだけれども、それは気にしないでほしい。

[4]この次に、集団ストーカーが如何なるものか定義される。本文によると「集団ストーカー(集スト)とは『思考盗聴』という相手の考えを読み取る機械を悪用するストーカーのこと」らしい。冷静になって考えてみると、別に思考盗聴が為されても集団性とは何ら関係が無いのであるが、まぁとにかくそういうものらしい。そして集団ストーカーを「集スト」というナウなヤングにバカウケの略称で呼ぶこともここで明らかになった。なお、内容のおかしさはもう不問にする。

[5]そしてここからが怒涛の猛攻である。どうも集ストは脳波をマイクロ波で読み取ることによって行われているらしい。脳からマイクロ波が出ているのか、それとも脳にマイクロ波を与えると脳波が判るのか、その辺りの仕組みは謎である。謎であるが、とにもかくにも脳波がマイクロ波で判るのである。しかもこちらから情報を送信することも出来るらしい。こちらについては「色々な」と誤魔化されており、一体どういうメカニズムで情報が送られているのか解らない。第一、脳がどうやってこちらからの情報を受信するのか。生体でしかないのにも拘らずそんな仕組みがあるなら、人類皆サトラレなのではないか。混迷は深まるばかりである。そしてなんだか「ストーカー」としての性質が失われつつある気がするのだが、まあそんなことをあまりごちゃごちゃ言っていると自分まで脳みそ不自由扱いされかねないので次に行く。

[6]更に他にも映像を送る機械や超音波を発生させる機械があって人間を操作できるらしい。超音波を発生させる機械くらいどこにでもあるのだが、とにかく危険なのである。ひょっとしなくても、我々は超音波で支配されている。「ブルジョワ的陰謀によって、反抗も出来ないイヌに成り果てているのである。然り、これこそ三次元的権力観であり……」という話では全くない。ルークスの悪口はそこそこにしておこう。

[7]そして、この陰謀は「うんこ」ことゆうき君一人ではやはり為し得ないようである。なるほど、それなら確かに「集団」ストーカーかも知れない。問題はその集団の名称である。これが「うんこ軍団」いやね、もうね。なんかひねりはないのかと。そのコロコロコミックレベルのセンスは何とかならないのかと。別にライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラーみたいな名前にしろって言っているんじゃなくてね。そういうファシスト的なセンスが欲しいわけじゃなくてね。

[8]えー、それで「こんな奴ら」でも手に入るということで、なんか無能でも簡単らしいです。他人の人格を乗っ取れるなんて有能極まりないと思うんですがね。何なら我が党にもそのようなものがあればプロパガンダなんて頑張らなくても容易に国家体制を築けるものを。我が党は民主的な議論を重んじる裏表のない政治集団です。民主的な議論を重視しますが、それはそうとネットで手に入るならこれで世界革命待ったなしですね。やっぱほら「党は討論クラブではない」わけですし。

[9]えー、そして最後である。曰く「集スト問題の解決を願います」と。スターフカとしては、病院に行くべきと思料する。


 注釈は以上である。どうもこの件、検索すると人の名前やら何やらが出てきて若干怖い気がしなくもない。しかし、こういうものも革命が成った暁にはすべていなくなる。革命はあなたの腰痛や痔も治してくれるからである。向坂逸郎も「ソヴェト共産主義になったら、お前の病気は治っちまう」と言っている。ちなみに、ここでいう「病気」とは東郷健が同性愛者であることである。私は同性愛を治すべき対象とは全く思わないが、それくらい社会主義は万能なのである。「女を男に、男を女にすること以外は何でもできる」とかのたまっている英国議会など目ではない。諸君も我々に続こうではないか。我々と共に革命を成し遂げ、世の中の矛盾全てを解決しよう!


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